塩竈みなと祭について
前夜祭 花火大会 | 海の日 前夜 |
塩竈みなと祭 | 海の日(7月第3月曜日 祝日) |
日本三大船祭りの一つとして知られる塩竈市最大のイベント。志波彦神社・鹽竈神社の御神輿を奉安した御座船が約100隻ものお供の船とともに松島湾を巡幸します。
前夜祭花火大会は、東北の夏のはじまりを告げる花火大会として毎年大勢の来場者が訪れます。
陸上パレードでは「よしこの塩竈」の曲にあわせて、約3000名の参加者が踊り歩きます。
神輿海上渡御
陸奥国一之宮 志波彦神社・鹽竈神社の御神輿を奉安した御座船「龍鳳丸」「鳳凰丸」が日本三景の松島湾を巡幸します。
みなと祭は、志波彦神社・鹽竈神社両社の神輿が市内と海上をご巡幸します。「御発ち !」の掛け声のもと、2基の神輿が表坂二百二段の急な石段を続けて下りられ市内へと繰り出し、御座船が待つ桟橋へと向かいます。
海上渡御を終えて、2基の神輿が神社表坂下に戻ると今度は表坂の石段を力の限り上り還御いたします。その姿は勇壮で、見守る人々から歓声が湧き上がります。
志波彦神社・鹽竈神社両社の神輿が一緒に渡御するのは、年に一度みなと祭のときだけです。
鳳凰丸
鹽竈神社の神輿を奉安する御座船の鳳凰丸
鳳凰丸による海上渡御は、昭和23年(1948)の第1回みなと祭から中心行事として行われていますが、現在の鳳凰丸は二代目。昭和40年(1965)7月に建造され、その年の第18回みなと祭から就航し現在に至っています。
その絢爛豪華な姿は全国にも知られ、古くはオーストラリアのたばこのデザインに使用されたり、週刊新潮の表紙に描かれた記録が残っています。
鳳凰丸とその供奉船行列は江戸時代、仙台藩62万石の威容を誇る伊達家の松島湾内遊覧のための御用船が原点であるといわれています。
龍鳳丸
志波彦神社の神輿を奉安する御座船の龍鳳丸
志波彦神社の神輿は、昭和39年(1964)に水産業界が新魚市場開設を記念して奉献したものです。
その年の7月、辰年にちなんで龍頭をあしらった龍鳳丸が建造され、志波彦神社の神輿を安置して海上渡御の御座船が2隻になりました。
塩竈みなと祭の歴史
塩竈みなと祭は、戦後間もない昭和23年(1948)、港町塩竈の産業復興と疲れきった市民の元気回復を願って始められました。厳島神社の管弦祭(広島県廿日市市宮島町)、貴船神社の貴船まつり(神奈川県真鶴町)と共に「日本三大船祭」に数えられ、海の祭典としては全国有数の規模を誇ります。最大の見せ場である神輿海上渡御では、東北有数の参拝者数を誇る「陸奥国一宮」志波彦神社・鹽竈神社の2基の神輿をのせた御座船「龍鳳丸」「鳳凰丸」が約100隻もの供奉船を従え、日本三景松島湾内を巡幸します。美しい島々と海を背景に展開される勇壮華麗な大船団の様子は、さながら平安絵巻の様相を呈しています。
鹽竈神社の神輿が海を渡る東北で初めての神輿海上渡御は、古来、海からの道案内の役割を果たされ、この地に残られた御祭神の鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)を年に一度海へお連れするという、神社を崇敬する氏子たちの感謝祭といえるお祭りです。
当初、祭の期日は7月20日の「海の記念日」の一連の行事として、塩竈にとって由緒ある鹽竈神社例祭が行われる7月10日に定めておりました。
昭和38年(1963)からは、盛夏の好機を選び、8月5日に開催されるようになり、続く昭和39年(1964)には水産界の有志が寄進した志波彦神社の神輿と御座船「龍鳳丸」が海上渡御に加わり、みなと祭がさらに盛大になっていきました。
さらにその後、海上渡御中の御座船を待つ間により祭を華やかに楽しく、と陸上パレードが行われるようになり、4日前夜祭の花火大会も含め海と陸とが一体となったお祭になっています。平成元年(1989)からは「よしこの鹽竈」という新しい唄と踊りが入って、一層にぎやかなお祭となり、平成17年度(2005)からは、開催日を祝日の「海の日」(7月第3月曜日)に変更し、前夜祭(花火大会)をその前日に行い、東北の夏祭りの先陣を切るお祭りとして盛大に開催されています。
平成18年度(2006)には水産庁から「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に認定。さらに平成26年度(2014)には「ふるさとイベント大賞」において『内閣総理大臣賞』を受賞しました。